一緒に住んでいることは秘密にしているのに。周りの社員さんが不思議そうな顔をする。それを察した芽衣子さんは「事務所に来るかもしれないしね」とごまかしてくれた。「そう。じゃあマネージャーに届けさせるわ」後ろの首に手を当てつつ黒柳さんは帰って行く。あーハラハラした。まあ、バレてもいいけれど……知られたくない気持ちのほうが強い。いまだに不釣合いなんじゃないかと思ってしまう。事務所の人だってなんでこの子なのって思われるかもしれない。どう思われたとしても気にしちゃいけないんだけどね。仕事が終了時間になって、芽衣子さんが「お疲れ様」と声をかけてくれた。「失礼します」帰る準備をして部署を出ると、エレベーターホールに市川さんが立っていた。「お疲れ様です」「あっ」そう言って手が伸びてきたからびっくりして身を縮こませた。「驚かせてごめん。髪の毛にこれ、ついてたからさ」「ほら」笑って見せてくれた。親指と人差し指で摘んでいたのは、紙切れ。さっき書類整理した時についてしまったのかもしれない。「あー……すみませんっ。ありがとうございます。私ってアラサーなのに抜けているところがあるんですよ……。本当に、すみません」「謝らないで」市川さんがニコっと笑った。上から見下ろされると恥ずかしくなってしまう。そんなに見つめないでほしい。優しい視線を向けられてどんな反応したらいいのか困ってしまった。……早くエレベーター来てよ。「ごめんね、髪の毛乱れちゃったな……直してあげよう」そう言って私の髪の毛を撫でた。大くん以外の人に触られるなんてありえないっ。動揺して声も出せずにいると、エレベーターのドアが開いて人が降りてきた。視線を動かすと大くんが立っていた。「……大くんっ……」小さな声でつぶやいたのに、市川さんには聞こえてしまったらしい。「へぇ、大くんって呼んでるんだ」意味ありげな笑みを浮かべられた。「……ファンだったんです」言い訳をしてみる。大くんはエレベーターの前で立ち止まった。「お疲れ様です。市川さん」大くんは無理に笑顔を作っているように見えた。髪の毛を触られたの……見られちゃったかな。市川さんは偉い人だから、大くんと私の関係は知っているはず。だから、変な意味で触れてきたんじゃなくて、本当に親切心だったと思う。市川さんはいい人だし。
仕事を終えた私はスーパーへ寄って帰る。今日は何を作ろうかな。リクエスト通りお魚を買った。あとは……どうしようかな。ポテトサラダでも作ろうかな。味噌汁はどうしようかな。私よりも大くんの方が料理は出来ると思う。いつも、イマイチな料理を食べてくれるから申し訳ないなぁと、思っていた。家に戻って料理を終えてからテレビをつけると、大くんが出演している番組が放送されていた。楽しそうに女性のタレントさんと社交ダンスをしている。ダンスをするために体を密着させていた。仕事だとわかっているけど嫌な気持ちになる。こんなんでヤキモチを焼いていたら身がもたない。私って意外に独占に欲が強いのかな。見ていられなくなって、テレビのチャンネルを変えた。しばらくして大くんが帰って来たので玄関まで迎えに行く。「お帰りなさい、大くん」「ただいま」頭をポンポンと撫でてリビングに向かって歩いた。ちょっと疲れているようで心配だ。今日もハードスケジュールだったのかもしれない。その間に事務所に寄って様子をわざわざ見に来てくれたのだろう。「大くんのリクエスト通りお魚焼いたよ。焦げているところもあるけど、なかなか美味しそうだよ」明るい声で話しかける。大くんは「ありがとう」と言って食卓テーブルについた。早速料理を並べる。大くんと出会った頃はカレーライスすら作れなかったのに、インターネットのお陰でなんとか作れるようにはなったかな。私も席につくと二人で手を合わせた。「いただきます」なんとなくいつもと雰囲気が違う気がした。大くんはよほどのことがないと感情を出さない。嫌なこととかあったのかな。会話を見つけなきゃと思って考えていると、大くんから会話を振ってくれた。
「仕事、慣れた?」「うんっ。皆さん優しいし親切にしてくれるからやりやすいよ。黒柳さんが時折、私と大くんの関係を言っちゃいそうでハラハラしてるけどね」くすっと笑って話をする。「あいつマイペースだからな」「大くんがライブで結婚するって言ってくれたでしょ? でも、世間には私の顔は知られていないからさ。まさか、私が大くんの奥さんになるなんて知ったら、信じられない人もいっぱいいるだろうね」自分でもまだ信じられない時がある。でも、一緒に住むようになって少しは実感が湧いてきた。「……入籍日なんだけど、十一月三日でOKもらったから」「本当? 嬉しい」ニコッと微笑むと大くんも微笑み返してくれる。「結婚式は親しい人だけでやらないか?」「そうだね。ウエディングパーティーみたいなのもいいかも。あまり人数が多いと疲れちゃうし。玲と千奈津は呼びたいな。小桃さんも!」「ああ、いいよ」「髪の毛……伸ばしたほうがいいかな。色んな髪型できるし」髪の毛と口に出した途端、大くんは険しい表情になった。言ってはいけないワードを言っただろうか。「ごちそうさまでした」「あ、うん」立ち上がって食器をさげると、歯を磨きに行ってしまった大くん。どうしちゃったんだろう。気に障ること言ったかな。戻ってきたと思ったら寝室で腹筋をはじめた。あまり、話しかけないほうがいいかなと思って、リビングで大人しく待っていた。しばらくしてちらっと様子を見ると、トレーニングを終えた大くんはベッドにうつ伏せになっている。遠慮しようかと思ったけど、大くんともう少しだけ話をしたいと思って近づいてみた。「起きてる?」「うん……」「あ、じゃあ、マッサージしようか?」「……お願いしようかな」大くんの背中に乗って肩から揉む。体が楽になればいいなと思いながら、気持ちを込めてマッサージをしていく。でも無言だ。気まずいので話題を探す。「市川さんってかっこいいのに、結婚しないんだね」「…………」「優しいし、仕事もできるし」「………………」「過去に悲しい恋愛とかしたのかな」「そんなに気になるのか」お腹の底から出しているような低い声に驚いて、マッサージする手を思わず止めてしまった。
「おい、美羽」「……まさか! 何言ってんの。ありえない」「市川さんがいいなら、婚約破棄すればいいだろっ」いきなり体を乱暴に起こすから、私はバランスを崩して倒れた。「大くん、危ないよ」顔を見ると不機嫌そのもの。ベッドの上で胡座をかいて、膝に肘をついて顔を支えている。人差し指で頬をトントントンと叩いていて、イライラを必死で抑えているように感じた。「あーもう」そして、頭をぐしゃぐしゃと両手で乱し大きなため息をついた。「……大くん」「いいか。俺はだな、美羽が他の男に触られたりするのが一番嫌なの」きょとんとする私。大くん以外の男の人に触られたりしてないけど。うーん。考えてみるけど思いつかない。「もしかして、自覚ないのか?」「……ごめん。大くん以外に触られたりした記憶がない」「もっと危険じゃん……」大くんは、私の手を取ってぎゅっと体を引き寄せた。大好きな大くんの香りに包まれて安堵する。やっぱり、一日一回はこうやって抱きしめてもらいたい。結婚してもこれは続けてほしいと思う。「大くぅん……」胸に顔をつけて大くんの香りをくんくんと嗅ぐ。あー、たまらない。犬が飼い主さんの匂いを嗅ぎたがる気持ちが痛いほど、わかる。「汗、臭いんじゃない? 俺、運動したばかりだし」「いいの。全部含めて大くんだし」「もう、まったく」さらにぎゅっと抱きしめられる。「美羽。お願いだから、市川さんといちゃいちゃするなよ」「……市川さん?」エレベーターの前で大くんに会った時、市川さんは髪の毛についたゴミを取ってくれて髪の毛を直してくれたんだった。あれを見て大くんは怒って、不機嫌だったのか。「市川さんってすげー男前だろ? 俺なんて勝負できるような人じゃないんだ。美羽、最近、市川さんの話ばかりだから不安になって……押しつぶされそうだった。しかも、髪の毛まで触らせて。俺の美羽なのに」独占欲むき出しの大くんにキュンキュンしてしまう私って……。でも、愛しているからこそ独占欲が湧いてくるんだよね。すごくわかる。「大くん。私だっていつも不安なんだよ。テレビで綺麗なタレントさんと楽しそうに話しているだけでも嫉妬する。……しかも今日なんて社交ダンスだよ」「あ……、あれオンエアー今日だったのか」苦笑いをしている。「美羽も嫉妬してくれてるんだな。なんか、安心した。…
*ランチを終えて仕事をしていると、窓から日差しが入ってきた。眩しいなと思っていたところ、芽衣子さんはブラインドを降ろした。他のスタッフさんは外出していて二人きり。まったりとした空気が流れている。「もう夏だねー……」つぶやいた芽衣子さんは、心なしか切なげな表情を見せた。なんでそんなに悲しそうな顔をするのだろう。夏に対していい思い出がないのだろうか。私は気になって仕方がなかったけれどプライベートなことを話させるにはまだ距離が近くない気がして黙っていた。「紫藤さんって優しい?」「え?」突然の質問に驚いてしまったけれど「はい」と素直に答える。「少し独占欲が強いところもありますけど……」苦笑いをする私。芽衣子さんは自分の席に座った。「それって愛されている証拠じゃない」微笑みながら、言ってくれた。きっと、そうだと思う。納得して微笑む。「幸せそうね」優しい声で言った。「芽衣子さんはお付き合いされている方いるんですか?」「私はね……別れようと思ってるの……」悲しそうに眉毛を落とした芽衣子さん。やっぱり、お付き合いしている人がいたのか。でも、どうして別れようと思ったのだろう。聞くに聞きづらい。「誰にも言うなって言われていて。ずっと黙ってたの。でも、もう別れるからいいよね。美羽さんだから言っちゃおうかな……」「私なんかでいいんですか?」「うん。聞いてくれる?」「もちろんです」カラッとした笑顔を向けてきた。「…………黒柳明人と……、付き合ってるの」「……そ、そうなんですか?」芽衣子さんの彼氏が黒柳さんだったなんて予想外だった。……けど、言われてみればここに黒柳さんが来ると必ず芽衣子さんの近くに座っていた。「付き合って五年。結婚の「け」すら聞いたことないの。私に言うのはただ一つ。誰にも言うなってことだけ。……付き合ってるんじゃなくて、あいつにとってはセフレなのかね」さっぱりとした口調で言っているけど、かなり傷ついているように見える。「同じCOLORのメンバーと付き合っているのに。美羽さんはああやってライブで結婚宣言までしてもらえて幸せだよね。私、もう三十四歳だから焦ってしまうのよ。結婚がしたい」その気持ちは痛いほどわかる。アラサーとして家庭への憧れは強くなるのだ。女性には出産できるタイムリミットがあるのでそれも焦る原
*今日は事務所に所属しているタレントさんや、働いているスタッフが集まって呑み会が開かれていた。大会議室でオードブルが広げられていて、缶ビールを片手に雑談をしている。「美羽さん、お疲れ様」「お疲れ様です」声をかけて回っている大澤社長は、私のところへも話しかけに来てくれた。「仲よくやってる?」「はい、お陰様で」「そう。楽しく暮してね」そう言ってまた次の人のところへ行ってしまう。過去にあんなに反対されていたのに今ではこうして普通に話しかけてくれるのが不思議でたまらない。でも私たちが乗り越えなければならない難だったのかも。テレビで活躍されているタレントがいっぱいいて、まるでテレビの中に入ったような気持ちになった。若いタレントさんが近づいてきたのでお酌をする。今売れ始めているイケメン俳優だ。「ありがと」「いえ」ニヤリとして顔を近づけてきた。「お姉さん……見たことない顔だな。最近、入ったの?」「……はい」「へぇ。色が白くて美人だね」「ありがとうございます」いかにも軽そうな雰囲気で、対応に困っていると、大くんがさり気なく近づいてきた。若手俳優は「おはようございます」と礼儀正しく挨拶すると、大くんは「おはよう」と言って微笑んだ。「話している最中悪いけど、彼女のこと借りるね」大くんは私の手を引いて若手俳優から引き離した。そして、廊下へと連れて行かれる。「美羽、この業界は色んな人がいるから気をつけろよ」「べつに話しかけられただけだよ」額をツンと人差し指で突かれた。「危機感が少なすぎるんだって。あいつ美羽のことそういう目で見てただろ。気をつけろよ」「ごめんなさい」見つめ合っていると「お熱いこと」と声が聞こえて驚いて見ると、黒柳さんが壁に背をつけて腕を組みつつ見ている。それでも、大くんは慌てる様子はない。私は驚いてそばから離れた。「黒柳もそろそろ結婚してあげなよ。彼女もお年頃だろ?」その口ぶりから大くんは、黒柳さんが付き合っている人を知っているようだ。誰にも言うなと言っているはずなのにメンバーは知ってるのかな。「大樹……。俺と芽衣子が付き合っているって教えたの?」「いや」「そう」つぶやいた黒柳さんは、私を見つめた。「そういうことなんだ。でも、誰にも言わないでね」私はとりあえずコクリとうなずいたが、芽衣
黒柳さんは、芽衣子さんのことが好きなんだ。二人が両想いだと知って少し安心した。それならきっとうまくいくはずだ。でも早く掛け違えたボタンを直さなければ二人は別れてしまうかもしれない。私に何かできることはないのだろうか。「大樹は言わないのか? 事務所の人間に」「……言おうと思う。社長は美羽が大変だから言うなって。でも、もう限界。俺の美羽に手を出そうとする奴が多い」「ははは」気怠そうに笑った黒柳さん。「独占欲が強いな、大樹」「お前が野放しにしすぎなんじゃない?」クスクスと笑い合っている二人。仲がいいようだ。そこに赤坂さんまで登場する。赤坂さんは見るからに俺様オーラを放っている。「頑張ってるんだってね、赤坂」黒柳さんがやんわりした声で言うと赤坂さんは鼻で笑う。「まあな。お前らみたいに余裕があるわけじゃねぇーから」COLORが全員揃って目の前で話していると迫力がある。やっぱり、大くんってすごい人なんだと実感した。「大樹がさ、美羽ちゃんが他の男に狙われるのが嫌だからついに皆にバラすらしいよ~」黒柳さんが面白がってふんわりと笑いながら言った。「え?」「いいじゃん。どうせなら、今言っちゃえよ」赤坂さんは革のパンツのポケットに手を入れて、唇を片方だけ上げて笑う。俺様発言連発に私はきょとんとしてしまった。「それ、いいかも。今皆に伝えるチャンスだな」大くんはそう言って、私の手を引いて中へ入って行った。パーティーをしている場所に移動すると、ここには身内の事務所の人しかいなかったけれどたくさんの人が集まっている。「話があります」大くんがマイクで言うと静まり返り、視線がこちらに集中した。私は突然のことなので驚いて止めることができなかった。「俺がライブで結婚宣言した女性は、こちらにいる美羽です」皆さんは堂々と言うと目を丸くしている。一気に注目を浴びて顔が熱くなってしまった。大澤社長は笑っている。「大樹ったら、もう。困った子」それから、揉みくちゃにされて質問の嵐に対応するのが、大変だった。
続編第三章 嫉妬しちゃう心暑い……。かき氷食べたいな……。仕事を終えて買い物をしながらそんなことを考えていた。大くんは甘いモノをほとんど食べない。だから私も付き合って食べないようにしているけれど、たまに食べたくなってしまう。女性は甘いモノが大好きな人が多い気がする。七月に入り、ますます気温が上昇しているせいか、湿気が多くて具合が悪くなる。今日は冷麦でもしようかな。そう思っている時、大くんからメールが届いた。『友だちに会うことになった。今日は夕飯いらないよ。なるべく早く帰るね』なんだ、一人で夕飯か。寂しいな……と思いつつ、一人なら作る必要はないと思ってお弁当を購入した。きっと、大くんと暮らしてなかったらだらしない食生活かもしれない。お惣菜かファーストフードか、コンビニ弁当。栄養バランスを考えないで食べていただろうなと想像し苦笑いをしながら自宅に戻った。家に戻ると一週間分の疲れが出てしまったのか、お弁当をテーブルに置いてうとうとしてしまった。「……う、……みう、美羽!」呼びかけられて体が揺すられ、目を覚ます。大くんが心配そうな顔で覗きこんでいた。「……あ、やだ。眠ってしまってた……」壁の時計を見ると深夜一時だ。明日は休みだから夜更かししても平気だけど……大くんは疲れてないかな。「お帰りなさい、大くん」大くんは私をふわりと包み込むように抱きしめてくれた。安心してまた眠気が襲ってきたのだけど、甘い匂いがして一気に意識がはっきりしてしまった。……女の人の香りがする。
「赤坂さんのことが好きでも……両親の言うことを聞かなきゃって思って」「ってかさ、なんで早く言わなかったんだ?」苛立った口調に怖気づきそうだった。「考えて悩んで……私もそう思ったから。それに、これ以上迷惑をかけちゃいけないって思ったの」「迷惑だと? ふざけんじゃねぇぞ」乱暴に私を抱きしめた。赤坂さんの胸に閉じ込められる。かなり早い心臓の音が聞こえてきた。「俺のこと信じろって」「赤坂さん。ごめんね」「バカ」涙があふれ出し、私は赤坂さんにしがみついた。赤坂さんはもっと強く私を抱き止めてくれる。「でも、好きな気持ちには勝てなかったの」「………」体を起こしてキスをされた。すごく優しいキスに胸が疼く。私のボブに手を差し込んで熱いキスに変わっていく。舌が絡み合い、濡れた音が耳に届いた。唇が離れると赤坂さんは今までに見たことない瞳をしている。「久実、愛してる」「……私も、赤坂さんのことが好き」「俺もだ」「今まで本当にごめんなさい」「大好きっ、赤坂さん、大好き」「うん。俺も」私も赤坂さんのために自分のできる限り尽くしたいと思った。守ってもらうだけじゃなくて、守ってあげたい。頭を撫でられて心地よくなってくる。「両親に認めてもらえるように……頑張るから」赤坂さんはつぶやいた。だけど、すごく力強い言葉に聞こえた。「近いうちに会いに行きたい」「うん………」「やっぱりさ、思いをちゃんと伝えて理解してもらうしかないから」「そうだね……」「俺はどんなことがあっても久実を離さないから。覚えてろよ」頼もしい赤坂さんに一生着いて行く。私は赤坂さんしか、いないから。きっと、大丈夫。絶対に幸せになれると思う。私は赤坂さんのことが愛しくてたまらなくて、自分から愛を込めてキスをした。エンド
そして、四日になった。前日から緊張していてあまり眠れなかった。化粧をして髪の毛をブローした。リビングにはお母さんがいて、テレビを見ていた。「友達と会ってくるね」「気をつけてね」「行ってきます」家を出ると、まだ午前の空気は冷たくて、身震いした。手に息を吹きかけて温める。電車に向かって歩く途中も緊張していた。ちゃんと、思いを伝えることができるといいな……。赤坂さんに恋していると気がついたのはいつだったんだろう。かなり長い間好きだから、好きでいることがスタンダードになっている。できることなら、これから一生……赤坂さんの隣にいたい。マンションに到着し、チャイムを押すとオートロックが開いた。深呼吸して中へ入った。エレベーターが速いスピードで上がっていく。ドアの前に立つといつも以上に激しく心臓が動いていた。チャイムを押すと、ドアが開いた。「おう」「お邪魔します」赤坂さんはパーカーにジーンズのラフな格好をしているが、今日も最高にかっこいい。私は水色のセーターとグレーの短めのスカート。ソファーに座ると温かい紅茶を出してくれて隣にどかっと座った。足はだいぶ楽になったらしくほぼ普通に過ごせているようだ。「久実が会いたいなんて珍しいな」「うん……。話したいことがあって」すぐに本題に入ると、空気が変わった。赤坂さんに緊張が走っている感じだ。「ふーん。なに」赤坂さんのほうに体ごと向いて目をじっと見つめる。何から言えばいいのか緊張していると、赤坂さんはくすっと笑う。「ったく、何?」緊張をほぐそうとしてくれるところも優しい。赤坂さんは人に気を使う人。「私……、赤坂さんのことが好きなんです」少し早口で伝えた。赤坂さんは顔を赤くしているが、表情を変えない。「うん……。で?」「好きなんですけど、交際するのを断りました。その理由を話に来たんです」「……そう。どんな理由?」しっかり伝えなきゃ。息を吸って赤坂さんを見つめた。「両親に反対されています」「え、なんで?」「赤坂さんは恩人ですから……。 だから、対等じゃない……から……」頭の後ろに片手を置いて困惑した顔をしている。眉間にしわを寄せて唇をぎゅっと閉じていた。
年末になり、赤坂さんは仕事に復帰した。テレビで見ることが多くなり、お母さんと一緒に見ていると気まずい時もあった。四日に会う約束をしている。メールは毎日続けているが会えなくて寂しい。ただ年末年始向けの仕事が多い時期だから、応援しようと思っている。私も年末年始は休暇があり、仕事納めまで頑張った。そして、両親と平凡なお正月を迎えていた。こうして普通の時を過ごせることが幸せだと、噛み締めている。今こうしてここにいるのも赤坂さんと両親のおかげだ。心から感謝していた。『あけましておめでとうございます。四日、会えるのを楽しみにしています』赤坂さんへメールを送った。『あけおめ。今年もよろしくな。俺も会えるの楽しみ』両親が反対していることを伝えたら赤坂さんはどう思うだろう。不安だけど、しっかりと伝えなきゃいけないと思った。
「……美羽さん。ありがとうございます」「ううん」「私も赤坂さんを大事にしたい。ちゃんと話……してみます」「わかった」天使のような笑顔を注いでくれた。私も、やっと微笑むことができた。「あ、連絡先交換しておこうか」「はい! ぜひ、お願いします」連絡先を交換し終えると、楽しい話題に変わっていく。「そうだ。結婚パーティーしようかと大くんと話していてね。久実ちゃんもぜひ来てね」「はい」そこに大樹さんと赤坂さんが戻ってきた。「楽しそうだね」大樹さんが優しい声で言う。美羽さんは微笑んだ。本当にお似合いだ。「そろそろ帰るぞ久実」「うん」もう夕方になってしまい帰ることになった。「また遊びに来てもいいですか?」「ぜひ」赤坂さんが少し早めに出て、数分後、私もマンションを出た。赤坂さんとゆっくり話すのは次の機会になってしまうが、仕方がない。本当は今すぐにでも、赤坂さんに気持ちを伝えたかった。二日連続で家に帰らないと心配されてしまうだろう。電話で言うのも嫌だからまた会える日まで我慢しようと思う。私は、そのまま電車に向かって歩き出した。
急に私は胸のあたりが熱くなるのを感じた。「占いがすべてじゃないし、大事なのは二人の思い合う気持ちだけど。純愛って素敵だね」私が赤坂さんを思ってきた気持ちはまさに純粋な愛でしかない。「一般人と芸能人ってさ……色んな壁があって大変だし……悩むよね。経験者としてわかるよ」「…………」「でも、好きなら……諦めないでほしいの」好きなんて一言も言ってないのに、心を見透かされている気がした。涙がポロッと落ちる。自分の気持ちを聞いてほしくてつい言葉があふれてきた。「赤坂さんに好きって言ってもらったんですけど、お断りしたんです」「どうして……?」「心臓移植手術が必要になって、多額な金額が必要だったんです。赤坂さんが費用を負担してくれて私は助かることが出来ました。両親が……」言葉に詰まってしまう。だけれども、言葉を続けた。「対等な関係じゃないからって……。お父さんが、財力が無くてごめんと言うので……」「ご両親に反対されてるのね」深くうなずいて涙を拭いた。「私を育ててくれた両親を悲しませることができないと思いました。それに、健康じゃないので赤坂さんに迷惑をかけてしまうので」うつむいた私の背中を擦ってくれる美羽さん。「そっか……。でも、赤坂さんは、誰よりも久実ちゃんの体のことは理解した上で好きって言ってくれたんじゃないかな」「…………」「赤坂さんに反対されていることは言ったの?」「いえ……」「久実ちゃんも、赤坂さんを大事に思うなら。赤坂さんに本当のことを言うほうがいいよ。赤坂さんはきっと傷ついていると思う。好きな人に付き合えないって言われて落ち込んでるんじゃないかな」ちょっときついことを言われたと思った。だけど、正しいからこころにすぅっと入ってくる。美羽さんは言葉を続ける。「久実ちゃんがね、手術するために日本にいない時に……。さっきも言ったけど、私、大くんと喧嘩しちゃって赤坂さんに相談に乗ってもらったことがあったの。その時から、久実ちゃんのことを聞かせてもらっていたの。赤坂さんは心底久実ちゃんを好きなんだと思うよ」必死で私をつかまえてくれる。赤坂さんの気持ちだろう。痛いほどわかるのだ。なのに勇気がない。私は、意気地なしだ。でも、このままじゃいけないと思った。勇気を出さなければ前に進めないと心が定まった。
楽しく会話をしながら食事していた。食べ終えると、大樹さんは赤坂さんを連れて奥の部屋に行ってしまう。美羽さんが紅茶とクッキーを出してくれた。二人並んでソファーに座る。部屋にはゆったりとした音楽が流れていた。自然と気持ちがリラックスする。しばらく、他愛のない話をしていた。「赤ちゃんがいるの」お腹に手を添えて微笑んでいる美羽さん。まるで天使のようだ。「安定期になるまでまだ秘密にしてね」「はい……。あの、体調大丈夫ですか?」「うん。妊婦生活を楽しんでるの。過去にできた赤ちゃんが帰ってきた気がする」美羽さんは、過去の話をいろいろと聞かせてくれた。辛いことを乗り越えた二人だからこそ、今があるのだと思う。気さくで優しくてふんわりとしていて本当にいい人だ。紫藤さんは美羽さんを心から愛する理由がわかる気がする。私は心をすっかり開いていた。「赤坂さんのこと……好きじゃないの?」「え?」突然の質問に動揺しつつ、マグカップに口をつけた。「いい人だよね、赤坂さん。きついことも言うけど正しいから説得力もあるし」「……」「実は 夫と喧嘩したことがあってその時に説得してくれたのも 赤坂さんだったの」「 そうだったんですね」「二人は……記念日とかないの?」「記念日なんて、付き合ったりはしていないので」「はじめてあった日とか……。何年も前だから覚えてないよね」ごめんと言いながらくすっと笑う美羽さん。初めて赤坂さんに会った日のこと――。子どもだったのに鮮明に記憶が残っている。まさか、あの時は恋をしてしまうとは思わなかった。こんなにも、胸が苦しくなるほどに赤坂さんを愛している。「ねえ、果物言葉って、知ってる?」「くだものことば? 聞いたことないです……」「誕生花や花言葉みたいなものなの。果物言葉は、時期や外観のイメージ・味・性質をもとに作ったもので……。果物屋の仲間達が作ったんだって」「はぁ」美羽さんは突然何を言い出すのだろう。ぽかんとした表情を浮かべた。「あはは、ごめん。私フルーツメーカーで働いていたの。なにかあると果物言葉を見たりしてさ。基本は誕生日で見るんだろうけど……記念日とかで調べて見ると以外に面白いの」「そうなんですか……」「うん。大くんと付き合った日は十一月三日でね、誕生果は、りんご。相思相愛と書かれていて……。会わな
タクシーで向かうことになったが、堂々と二人で行くことが出来ないので別々に行く。大スターであることを忘れそうになるが、こういう時は痛感する。二人で堂々と出掛けられないのだ。……切ないな……。美羽さんは大樹さんと結婚するまでどうしていたのだろう。途中で手ぶらなのは申し訳ないと思いタクシーを降りた。デパートでお菓子を買うと、すぐに違うタクシーを拾って向かった。教えられた住所にあったのは、大きくて立派なマンションだった。おそるおそるチャイムを押す。『はい。あ、久実ちゃん。どーぞ』美羽さんの声が聞こえるとオートロックが開いた。どのエレベーターで行けばいいか、入口の地図を確認する。最上階に住んでいる大樹さん夫妻。さすがだなーと感心してしまう。エレベーターは上がっていくのがとても早かった。降りるとすぐにドアがあって、開けて待っていたのは美羽さんだった。「いらっしゃい」微笑まれると、つられて笑ってしまう。「突然、お邪魔してすみません。これ……つまらないものですが」「気を使わないで。さぁどうぞ」中に入ると広いリビングが目に入った。窓が大きくて太陽の日差しが注がれている。赤坂さんはソファーに座っていて、大樹さんは私に気がつくと近づいてきた。「ようこそ」「お邪魔します」「これ、頂いちゃったの」美羽さんが大樹さんに言う。「ありがとう。気を使わないでいいのに」美羽さんと同じことを言われた。さすが夫婦だなって思う。赤坂さんも近づいてきた。「遅いから心配しただろーが」「赤坂さん。ごめんなさい」「一言言えばいいのに」一人で不安だったから、赤坂さんに会えて安心する。「さぁランチにしましょう」テーブルにはご馳走が並んでいた。促されて座る。私と赤坂さんは隣に座った。「いただきます」「口に合うといいけど」まずはパスタを食べてみた。トマトソースがとっても美味しい。「美味しいです。美羽さん料理上手なんですね」「とんでもない。大くんと出会った頃はカレーライスすら作れなかったんだよ」「そう。困った子だったんだ」見つめ合って微笑む二人がとても羨ましい。いいなぁ。私も赤坂さんとこうやって過ごせたら幸せだろうなぁ。
「妹が置いていった服ならあるけど。サイズ合うかな」「勝手に借りていいのかな?」「心配なら聞いてやるか」スマホで電話をはじめる。「あ、舞? 久実に服貸していい?」『えー! 家にいるの? 泊まったってことは、えーなに? 付き合ってるとか~?』ボリュームが大きくて話している内容が聞こえてしまう。「付き合ってくれないけど、まぁ……お友達以上だよ。じゃあな」お友達以上だなんて、わざとらしい口調で言った赤坂さんは、得意げな顔をしている。「……じゃあ、お借りするね」黒のニットワンピース。着てみるとスカートが短めだった。ひざ上丈はあまり着たことがないから恥ずかしい……。着替えている様子をソファーに座って見ている。「見ないで」「部屋、狭いから仕方がないだろう」「芸能人でお金もあるんだから引っ越ししたらいいじゃない」「結婚する時……だな」その言葉にドキッとしたが、平然を装った。私と……ということじゃない。一般的なことを言っているのだ。メイクを済ませると赤坂さんは立ち上がって近づいてくる。見下ろされると顔が熱くなった。「可愛い。またやりたくなる……」両頬を押さえつけたと思ったら、キスをされる。吸いつかれるような激しさ。顔が離れる。赤坂さんの唇に色がうつってしまった。「久実……愛してる」……ついつい私もって言いそうになった。「せっかく 口紅塗ったのに汚れちゃったじゃないですか」 私はティッシュで彼の唇を拭った。 すると 私の手首をつかんで動きを止めてまた さらに深くキスをしてきた。「……ちょっ……んっ」「久実、好きって言えよ」「……時間だから行かなきゃ」
久実sideふんわりとした意識の中、目を覚ますとまだ朝方だった。今日は休みだからゆっくり眠っていたい。布団が気持ちよくてまどろんでいると、肌寒い気がした。裸のままで眠っている!そうだった……。また、赤坂さんに抱かれてしまったのだ。逃げればいいのに……逃げられなかった。私の中で赤坂さんを消そうと何度も思ったけど、そんなこと無理なのかもしれない。すやすや眠っている赤坂さんを見届けて、ベッドから抜けようとするとギュッとつかまれた。「どこ行くつもりだ」「帰る」「………もう少しだけ。いいだろ」あまりにも切ない声で言うから、抵抗できずに黙ってしまう。強引なことを言ったり、無理矢理色々したりするのに、どうして私は赤坂さんのことがこんなにも好きなのだろう……。もう少しだけ、赤坂さんの腕の中に黙って過ごすことにした。太陽がすっかり昇り切った頃、ふたたび目が覚めた。隣に赤坂さんはいない。どこに行ってしまったのだろう。自分のスマホを見るとお母さんから着信が入っていた。「……ああ、心配させちゃった……」メールを打つ。『友達と呑みに行くことになって、そのまま泊まっちゃった』メッセージを送っておいた。家に帰ったら何を言われるだろう……。恐ろしい。「おう、起きてたのか」赤坂さんはシャワーを浴びていたらしい。上半身裸でタオルを首にかけたスタイルでこちらに向かってきた。あれ……昨日は一人じゃ入れないって言ってたのに。なんだ、一人で入れるじゃない。強引というか、甘え上手というのか。私はついつい赤坂さんに流されてしまう。そんな赤坂さんのことが好きなのだけど、このままじゃいけないと反省した。「今日、休みだろ?」「……うん」「じゃあ、大樹の家行こう」「は?」唐突すぎる提案に驚いてしまう。「暇だったらおいでって連絡来たんだ。美羽ちゃんも久実に会いたがってるようだぞ」美羽さんの名前を出されたら断りづらくなる。優しい顔でおいでと言ってくれたからだ。「でも……服とかそのままだし……」「そこら辺で買ってくればいいだろ」「そんな無駄遣いだよ」まだベッドの上にいる私の隣に腰をかけた。そして自然と肩に手を回してくる。「ちょっと……近づかないで」「なんで?」答えに困ってうつむくと赤坂さんは立ち上がってタンスを開けた。